代表 坂本厚子(さかもと あつこ)について

2003年、国際協力の仕事に携わりたいと単身ケニアに留学。スワヒリ語を学ぶ。3年間のケニア生活で現地の雇用機会の少なさを知り「私も雇用を生む仕事がしたい!」と感じるようになりました。環境の違いでオシャレができなかった私に楽しみをもたらしてくれたのがこの陶器アクセサリーです。身に着けるだけでエネルギーが沸き、楽しい気持ちになる。何よりも“普段着をよそ行きしてくれる” 優れもの。女性の雇用を増やすため長年尽力している工房オーナーに強く共感し、「日本向けのオリジナルデザインを作り、忙しい日本の女性に届けたい。」そう感じたのでした。「身に着けるだけで楽しい!褒められる!」1日をハッピーにするオリジナルアクセサリーを日本女性に届けることで、ケニアに雇用を生み出せる。こうして2013年 Chuuiが誕生しました。

アフリカ・ケニア留学のきっかけ

2003年東アフリカのケニアへ留学しました。子供の頃から国際協力の仕事に携わりたいと思い、学生時代に国際協力機関やNGO団体が主催するイベントやスタディーなどに参加をしていました。

福島の田舎で育った私にとって、テレビで見る海外番組はいつも興味津々で憧れの世界。子供の頃から、映画、旅番組、様々な民族や文化が映し出される番組をとても楽しみにしていたのです。

そんな中、子供ながらに衝撃を受けたのがアジアやアフリカの貧しい生活の映像でした。どこの国だったかはわかりません。けれど、自分と同い年くらいの子供達がこんなに貧しいのはなぜなんだろう?難民?どうして自分の国を追い出されなんて事があるんだろうか?とたくさんの疑問が沸き、その映像に釘付けに。子供だったのでショックを受けた様な強い印象が残りました。それ以来、将来は国際協力に携わる仕事をしたいと思うようになっていきます。

そんなきっかけから大学では、国際地域開発学を専攻。大学時代に所属していた国際開発ゼミの勉強の一環で、初めてアフリカ・ザンビア、タンザニアへ。

10日間程度の日程で、途中体調不良のためザンビアで入院するなど、アフリカを知るには短すぎてあっという間の帰国だったものの、それをきっかけに現地に住んで文化や人々の感覚など、アフリカについてもっと知りたいと思うようになりました。

留学先をケニアに決めたのは、国連をはじめ国際機関や様々な活動を行う団体がある事を知ったためです。また、アフリカ大陸でスワヒリ語を使う人が多いと知った事も理由の1つです。ケニアの文化や言葉を勉強しながら現地で様々な活動を実際に見て勉強したいとスワヒリ語の学校に入学願書を申し込み単身ケニアに渡りました。

ケニア(ナイロビ)での生活

ケニアでは学校の寮で生活をしていました。午前中はびっしりスワヒリ語とケニア文化についての勉強。現地で長くNGO活動に携わる方を講師に呼んだ授業や実際の活動を見る機会もありました。午後は、授業で覚えた言葉を外に出て実際に使ってくるという時間帯。

初めは土地勘もなければ治安もわからず、外出するのもおっかなびっくり。けれど、学校で言葉や文化をケニア人の先生から勉強しケニア人の感覚や考え方、文化を知っていくに連れて行動範囲も徐々に広がっていくようになりました。また、当時学校には日本語を学ぶために通っていたケニア人の生徒も多くいたため、お互いの国の言語を学ぶ者同士の交流もあり、何気ない会話から多くを学ぶ機会に恵まれました。

ケニアでの仕事&アパート一人暮らし

学校を卒業後、念願かなって国際協力機関で仕事をする機会を得ました。そこでは、医療プロジェクトで事務の仕事をしていました。また、それと同時に寮を出てアパートを見つけ生活も始めます。

ケニアでの一人暮らしは寮生活とは違い、当たり前ながら全てを自分でやらなければいけない環境です。日本とは違い便利さに程遠いケニアの生活は慣れるまでなかなか大変でした。

職場は、日本人スタッフとケニア人スタッフが連携を取りながら仕事を進める環境でした。日本人に比べ通常はゆっくりペースのケニア人ですが、仕事を得ることが難しいケニアでの職場環境は、想像よりもシビア。言葉や文化の違いによるコミュニケーションの差は当然あるとしても、それ以上に定職に就く事が難しいケニアで、外国人が仕事を得て働く事への現地スタッフが抱く感情、ケニア人同士でも他部族間で抱かれる感情などあらゆる事柄が入り混じった職場環境である事を知ります。時には「何かいい仕事知らない?」とケニアでの求人情報を外国人である私に尋ねられる事もありました。

定職に就いているスタッフでさえ抱く感情や仕事の話から、彼らの生活の厳しさや仕事を得ることの難しさ、得てからそのポジションを手放さないための必死さも知りました。また、それまで国際協力をするには現地の国際協力機関で働くのが一番の近道だと思っていた私でしたが、実はそうではないんじゃないか?本当に必要とされている事は外国人のボランティアではなく、継続して続けられる仕事・雇用環境があることではないんだろうか?と考えるようになりました。

水不足

ケニアで一人暮らしを始め、生活面で特に大変だったのは水問題です。蛇口から水は出るものの断水も頻繁でした。予告なく水が止まり、いつ戻ってくるのかわからないのです。そのため水汲みは欠かせない日課です。朝起きて空きタンクや容器に水を溜め古い水から洗濯やトイレに使います。万が一のため、水は常に節約。水だけでなく電力も不足していました。電気で沸かすお風呂タンクも停電で水シャワー。年間平均19度と高地で朝晩冷えるナイロビで、仕事帰りの水シャワーは修行のような気分でした。しかし、この経験で日本では見えなくなりがちな水や電気が常にあることのありがたさを身をもって実感し、また基本的なインフラが整っているからこそ、初めて時間が有効に使えたり、様々な事に目を向けられる余裕やチャンスに恵まれているんだとわかりました。

ケニアでの楽しみ

ケニアでの生活も徐々に慣れてきた私の楽しみ、それがケニアの民芸品を買うことでした。ケニアには様々な民芸品やアクセサリーがあり、その一つ一つが手作りなため同じようでも違っていたり、とにかく見て欲しくなるものがたくさんありました。休日はマサイマーケット(週に数日場所を変えて行われる青空マーケット。手作りのアクセサリーや民芸品を製作している人が集まり販売を行っている。値段は全て交渉で決まる。)に足を運んでは、数ある商品の中からお気に入りを選んで交渉しお買い物。値段交渉は作り手のエネルギーを感じる時間でもあり、スワヒリ語の上達にも繋がりました。実際に使われる言葉から文化や考え方を知る事もまた楽しみの1つでした。

なかでも好きでたくさん購入していたのがアクセサリーでした。高地で乾燥し埃っぽいケニアの環境に加え、水不足での洗濯を考えると着たいものを着たい時に着るというオシャレは思いのほか難しく、また治安にも配慮してオシャレしたい気持ちを抑えつつケニアでの生活は基本Tシャツ&ジーンズスタイル。代り映えのしない日常を送っていました。そこで、現地のアクセサリーを使ってオシャレを楽しめばいいのでは!?と考えました。ケニアには、マサイ族の伝統的なビーズのアクセサリーや様々な素材を使ったユニークなアクセサリーがたくさんあり日本にはないユニークさに魅了され、週末の楽しみになっていきました。

また、ケニアで定職に就くことの大変さを職場で日々感じ、小さいながらも外国人である自分に今できる事は、ケニアと言う場所で働かせてもらっているお給料を少ないながらもケニアで使いたいと思っていました。自分の楽しみだったマーケットで買い物する事で作り手の見えるアクセサリーを買い、私もお気に入りが見つかって嬉しいし、今日の収入を得た作り手としても嬉しい。ボランティアや国際協力と言うと身構えてしまうけれど、自分の楽しみの中でそれが自然にできる事をとても嬉しく感じていました。

陶器アクセサリーとの出会い

ケニアでの生活に慣れ、週末の楽しみになっていたアクセサリー探し。そんな中、出会った1つが陶器アクセサリーでした。型にはまらないユニークなデザインや日本人にない色彩感覚は、アフリカの大地、そこに住む人々の感性がそのまま表されているようでした。そんなアクセサリーは新鮮で見ているだけでとにかく気分を明るくしました。あれも可愛いこれも可愛いと乙女ゴコロをくすぐるものばかり。また、陶器素材を使ったアクセサリーは初めてでした。

普段着をよそ行きに変えた陶器アクセサリー

初めは使い方もあまりわからず、更に陶器ビーズを使ったアクセサリーって重くないんだろうか?可愛いけれど洋服に合わせづらいんじゃないだろうか?そんな事を思いつつも、見た目の可愛さに魅了され少し小ぶりなネックレスを1点購入しました。すると今までのアクセサリーと違って存在感がある分、不思議と洋服が素敵に見えたのです。「ただのTシャツ&ジーンズがよそ行きに見える!」それが陶器アクセサリーを身に着けた初めての感想でした。先入観として持っていた重さや洋服との相性は心配する事なく、むしろ何でもないコーディネートをよく見せてくれる事に魅了され、コーディネートを考えるのが楽しみになっていきました。また、これによってケニアの環境であきらめていたオシャレを楽しむことができるようになったのです。

社会貢献に繋がるアクセサリー

どんどん好きになっていった陶器アクセサリー、きっかけは見た目の可愛さや現地でオシャレをするのに重宝し購入していました。が、すぐにこのアクセサリーが雇用を生み出すために駆動してきたフェアトレード製品であり、工房である事を知ります。自分が購入する事で「ケニア社会で不利な立場にある人たちに雇用を提供し、維持すること」をサポートする事ができる商品でした。途上国だからといってその労働力や物を安く売り買いするのではなく、物としての価値を高め正当な価格で販売することによって働いている人達にも利益をきちんと還元している商品であり事業である事を知ったのです。

工房ではその品質管理もきちんと行われており、ビーズの大きさや模様の出方が少しでも規定から外れないように各工程ごとに徹底されていました。工房で働いている女性たちは楽しみながらも真剣そのものでした。物や人・時間の管理が日本ほど容易でないケニアでここまで整えられている環境から、工房の歴史と自分で仕事をして収入を得たいと言う彼女達の真剣さが伝わってきました。

職人のほとんどは何らかの理由でシングルマザーとなったケニアの女性達です。仕事を得る事が難しいケニアで定職を得る事、自分が働いて得たお金で家族を養えて、子供たちに教育を受けさせることができる。それは彼女たちにとって自信になりそれまでの生活を大きく変える事になっています。その背景を知った事で、私自身も何を選んで購入するか、そこにはどんな背景があるのかをより意識するようになりました。

またケニア生活で自由にオシャレが楽しめなかった経験をしたことで普段着をよそ行きに見せてくれる陶器アクセサリーに出会いました。環境は違っても日本で同じ様にオシャレの悩みを持った人がいるんではないだろうか?日本の忙しい生活やモノがたくさん必要だと感じてしまう環境で、1点で服装をお出かけ用に見せてくれるアクセサリーを届けることができたら、それが同じように仕事や生活に一生懸命なケニアの女性が生み出したアクセサリーだったら、日本とケニアそれぞれにあるモノとないモノを届けたいと考えました。

Chuui誕生

ケニアで仕事と日々の生活を経験し、国際協力について自分の考えが徐々に変化していきました。雇用の少なさを知り、そんな中出会った陶器アクセサリーがChuuiを立ち上げるきっかけとなりました。現地にいて自分一人ができる事はとても小さく、むしろケニア生活の中では、ケニアの人々に助けられる場面がたくさんありました。ある日突然来た外国人の私を受け入れ一緒に時間を過ごし、何かと手助けしてくれるケニアの人々の優しさに触れました。厳しい環境ながら前向きで明るい皆から多くを学ぶ機会をもらいました。これまでケニアの人たちからしてもらった事を、外国人として私ができる事はこの経験を日本で役立てていく事、ボランティアとしてではなくお互いに対等な立場を作るための大切な条件としてビジネスという形をとって行っていくこと、それが長い目で見た時に継続してサポートを行える条件であると考え、現在のChuuiが誕生しました。

日本向け製品展開で雇用サポート

扱う商品を陶器アクセサリーにしたのは、言うまでもなく私自身が好きで長年愛用し、そのファッション性やユニークさを感じたためです。また製品を通して雇用拡大とサポートに繋げていける事も大きな決め手となりました。自身の経験から職人たちの筆使いを活かし、日本のファッションに合うオリジナルの商品を展開したい!その想いに共感してくれた工房のオーナーの協力もありChuuiがスタートしました。オンラインショップに関しては、かつて自分がボランティアと言う意識なく、楽しみの1つとしてアクセサリーを購入していた(その結果が社会貢献に繋がっていた)ように商品自体に魅力を感じてもらいたいとの考えから現在のサイトに至っています。

メッセージ

人類発祥の地アフリカ。大地の恵みである土を使い、1つ1つ手仕事で生み出される陶器アクセサリーは身に着けていただくと温かみがあります。

作り手たちのエネルギーを感じる筆づかい。1人ひとりを取り囲む環境・生活・家族、様々なストーリーをビーズにのせて。Chuuiのアクセサリーを通し、その日1日がハッピーになるようなオシャレを楽しんでいただけたら嬉しく思います。